2.

 

綿菓子のように千切れて、青い空の中を少しずつ流されていく雲を目で追いかけながら、今日もぼんやりと非常階段で一日を過ごした。

 

――牧野は、とうとう現れなかった。

 

しょうがない、と溜息を吐く。

昨日の今日で、牧野も少し動揺しているのかもしれない。それか、アルバイトで忙しいのか。
非常階段で一人でいるのは慣れているはずなのに、いつの間にか彼女がいないと物足りなく感じている自分がいる。
そう考えると、なんだかんだ言ってすっかり彼女のペースにはまっている自分に、おかしくなってきた。



――昨日は完全に俺のペースだったけど。


真っ赤になっていた彼女を思い出すと、おかしくてまた笑いがこみ上げてきた。
他のことに無関心な自分が、ことに牧野のことになると執着するのが自分でも正直、わからない。

立ち上がって、少しずつ朱に染まっていく空を見上げる。
千切れた雲は、西の空に吸い込まれるように遥かかなたにあった。

 

 



――行こう、彼女に会いに。

 

 

 

***************

 

 

 

「いらっしゃいま・・・げ。」

 

まず自分の直感に任せて、牧野のアルバイト先に向かった。
そしてやっぱり、牧野はそこにいた。

店内に入って来た俺を見るなり、牧野はあからさまに「何で?」という表情をしていた。



・・・素直な奴・・・。

 

あまりにも正直な彼女の反応に、隣にいた牧野の友達、――たしか優紀って言ったっけ――
が、「何かあったのかな」というように、牧野と俺を見比べている。


「つくしっ。お客様でしょ?花沢さん、いらっしゃいませ。」

「え?あ、ごめん。・・・で何?花沢類。」

 

途端にひきつりながら営業スマイルをした牧野に、俺はおかしくなってつい吹き出してしまった。


「・・・何よっ、何がおかしいのよ。」

「あんた、やっぱ面白い・・・・・・」

「どういう意味よっ!何か買いに来たんでしょ?」

「ん・・・っていうよりは、あんたの顔、見に来たんだけど。バイトもうすぐ終わるんだよね?」


「行かない。」


「・・・・・・即答だね。まだ何も言ってないのに。」


仏頂面をして答えた牧野に俺は少しだけムッとする(もちろん心の中で)と、牧野の友達に笑顔で言った。


「・・・牧野とちょっと大切な話があるんだ。借りていっていい?」


彼女は俺と牧野を交互に見た後、にっこり笑って「いいですよ。」と言ってくれた。


「今日はお客さんも少ないし、つくし、行ってきなよ。あとは私に任せて。」

「優紀?」


親友の反応に呆然とする牧野に、彼女は何か耳打ちすると、
困った顔の牧野の背中を押して「いってらっしゃい」と送り出してくれた。

 

 

 

 

 

目的地も特に定まっていないまま、着替えて出てきた牧野と一緒に歩いた。
牧野は相変わらず仏頂面で、ふと牧野の方を見た俺と目が合うなり、すぐ目をそらした。


「・・・何?」

「・・・突然来るなんて反則よ。っていうか、本当は何しに来たの?あたし、今日バイトなんて言ってた?」

「牧野の顔を見たくなったから、会いに来た。何となくあそこにいるような気がして。」


呆れたような、嬉しいような複雑な表情を浮かべた牧野は、立ち止まるとはぁーっと溜息を吐いた。


「・・・・・・正直、花沢類がそんな風に言ってくれるのは嬉しいけど。」

「じゃ、いいじゃん。お茶しに行こう。優紀って子も、本当はあんたのこと心配してたんじゃないの?
最近、元気がないって。」

「・・・そんなことはわかってるけど。」

 

牧野は想像以上に、自分の感情が顔に出てることにあまり気付いてない。
牧野の友達をそれをわかってて、彼女を送り出したのだろう。



牧野が元気がない理由は当然、司だ。



彼女を時折寂しそうな顔をさせる司が、正直羨ましい。
俺ができることは、誰よりも近くに彼女のそばにいてやれることだけ。

 


俺は手を差し出すと、牧野の手を取って再び歩き始めた。
牧野はそんな俺に引きずられるようについてくる。



「・・・花沢類。本当に花沢類?今日は西門さんが乗り移ってるとか・・・?」

「俺は俺。言っただろ?俺はあんたが好きだって。」


 

「友達としてでなく。」の部分は、今日はわざと言わなかったけど。

そう言ってにこっと笑う俺を、牧野はやっぱり赤くなって、
そしてようやく諦めたのか、また「はぁ」と溜息を吐いた。

 

「・・・やっぱり、花沢類ってわかんない。」




そう彼女が呟いた声が、溜息に混じってかすかに聞こえたような気がする。

 



――俺は、牧野のことならわかってやれるけどね。多分、司より。

 

 

そんな想いを込めて、牧野とつないだ手に少しだけ、力を入れた。

 

 

 

 

*****************

 

 

 

牧野とお茶をした後、彼女を家まで送って帰った俺は、
家へ帰るなり、珍しく早く家に帰っていた父親に呼ばれた。


本当は行きたくなかったが、しょうがない。

お手伝いのシノさんの後について、親父の待つ部屋へ向かった。


 

「・・・失礼します。」

「類か。待ってたぞ。まあ、座れ。」



ソファーに座っていた親父と向かい合わせに、高校生くらいの男がこちらを向いて微笑んでいた。

笑顔を見た瞬間、何か懐かしいものを感じてしまった。随分前に、似たような笑顔を見た気がする。
でも、俺に司達以外の男友達はいないし・・・。


親父は、ぽんぽんと自分の隣のシートを叩いて俺を促す。
俺は無表情のままで座ると、親父が男の紹介を始めた。

 

「・・・類。こちらは、藤堂社長の甥の藤堂碧君だ。
今までアメリカで暮らしていてお前とは面識はないが、父上の仕事の関係で日本にしばらく滞在することになった。
母上は身体が弱いので、日本には来ていないんだ。
明日から英徳学園の高校1年生に編入する。
彼は日本語はできるが、慣れないこともあるだろう。類、面倒見てやってくれ。」



道理で・・・と俺は心の中で感じた懐かしいものに納得した。
どことなく、静に雰囲気が似ている。髪の色素が薄いところとか、何となく育ちの良さそうな笑い方とか。
痩せているけれど、身長は・・・あきらよりちょっと低いくらいか。


でも、俺が面倒見るなんて・・・・正直、面倒臭い。




「・・・藤堂さんの甥なら、静さんの家に滞在してもいいと思いますが・・・。」

「あー、それなんだが・・・友達を作るには、うちに来た方が何かと都合いいだろう?
静さんも今は日本にいないし。私が提案したんだよ。
お前も英徳の大学部にいるし、高等部に知り合いの後輩とかいるだろうしね・・・。」


「・・・。」

 

俺が黙っていると何かを感じ取ったのか、『藤堂碧』が遠慮がちに話し掛けてきた。


「僕、早く日本に慣れるよう頑張りますので、お兄さん、よろしくお願いします。」

そう言って、彼は申し訳なさそうに笑顔で手を差し出した。
そんなことをされたら、無視するわけにもいかない。親父は俺が不機嫌なのを見抜いているだろうが。
・・・・・・仕方がない。

「・・・わかりました。よろしく。」

「じゃ、決まりだな。碧君は類の隣の部屋を用意しているから。類、案内してやってくれ。」

 

『何で俺が』と思ったが、俺は「ついてきて」とだけ言うと黙って部屋に向かって歩き始めた。

 

 

 

・・・それにしてもよくしゃべる奴だった。
静についてから始まり、アメリカでの生活についてや、英徳学園のこと、親父のことについてまで。


「・・・日本に来て、日本風の家で暮らすことに憧れてたんです!」

「静さんからあなたのことよく聞いてました!とっても仲が良かったそうですね!」

「『F4』っていうグループの一人だって聞きましたけれど、『F4』って何ですか?」

「類さんのお父さんって、優しいですね。」

 

などなど。悪い奴ではなさそうだが、何でこんなに嬉しそうに話しかけてくるのか。
俺は正直、『うるさい』と思いながら、適当に相槌を打っていた。


そういえば小さい頃、静も何もしゃべらない俺に鬱陶しいくらいまとわりついてきたことがあった。
・・・牧野もこいつみたいに、べらべら話しかけてきた奴だし。

昔ほど人と話すことを嫌だと思わないようになっただけでも・・・やっぱり俺は変わったかもしれないと思う。







そんなことを考えているうちに、部屋の前に着いた。

「じゃ、ここが君の部屋。・・・俺は隣の部屋にいるけど。
何か用があったらシノさんに聞いてね。彼女がこの家のこと、一番把握してるから。」

「はい!ありがとうございます。あ、それと・・・」

「何?」

「『花沢さん』って何か堅苦しいし、『ルイくん』って呼んでいいですか?」

「・・・いいよ。好きにして。俺も『碧』って呼ぶし。」



そう言うと、碧はぱぁっと表情を輝かせた。
高校1年生だよな?と疑ってしまうほど、あどけない笑顔で。







俺は「おやすみ」とだけ言うと、自分の部屋に入ってベットに倒れこんだ。

目を閉じて、今日の一日を振り返る。

 

 

ふと、さっきの碧の無邪気な笑顔を思い出した。
俺の直感では、嫌な奴ではなさそうだけど・・・・・・。




――明日、偶然に牧野と碧が出会ったらどうなるだろう。

 


胸の奥のもやもやした気持ちを打ち消すようにシーツを頭までかぶる。
そしてそのまま、俺は眠りに落ちてしまった。

 

 

 

 

 


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