約束

 〜そう遠くない未来の君へ〜
 
 
 







 
 
 


 道明寺がNYに行ってから1年が経つ。 あたしは、この4月から大学生になった。


高校は英徳を無事卒業できたものの、流石に大学まで英徳に通わせる経済力が牧野家にあるはずも無く。

花沢類達の力を借りながら受験勉強に精を出し、晴れて国立大に合格したという訳だ。
その間、道明寺との連絡方法は、ある日突然に送られてきたパソコンによるメールと、昼夜関係なくかかってくる国際電話だけだった。
それでも道明寺は、苦手な英語を駆使しながらの慣れない仕事と大学生活という過酷な状況の中、マメにメールをくれたり、
あたしが落ち込んでる時には、野生の勘でタイミングよく電話をかけてきてくれた。


そのお陰で、NYと日本という離れ離れの状況にもかかわらず、むしろ英徳にいた頃より、あたしは道明寺の優しさを身近に感じる事ができた。
だけど、いくら声を聞いても、NYの風景をメールで見せてもらっても、そこに道明寺の実体が無い事が、時々、あたしをひどく不安にさせた。
NYに付いていかない事を決めたのはあたし自身。
中途半端に考えたわけじゃなく、真剣に悩んで悩んで出した答えだった。
その時ベストだと思った答えを出したつもりだった。
だけど、道明寺が目の前からいなくなった事実は想像以上にショックが大きかったようだ。

しばらくは『牧野』って呼んで太陽みたいな顔で笑う道明寺の夢を繰り返し見たし、
夢が覚めて、それが現実ではない事を悟り、何度も涙を流した。

後悔というのとは、少し違う。ただ、彼に逢いたかった。抱き締めて、キスして、あのコロンの匂いに包まれたかった。
ただただ、道明寺に逢いたかった。
 

バイトが終わって、いつものようにボロアパートの階段を上がりきると、家の入り口に誰かが寄りかかっているのが見えた。
廊下の常夜灯の電気が薄暗くて顔が良く見えないけれど、凄く背が高い男の人。

困った事に、進は親と一緒に出かけていて、今日は家にあたし一人の予定で。
薄気味悪いけど、いつまでもココに突っ立っているわけにはいかないし、あたしは拳を固く握り締めながら、勇気を出して家の前にいる男に声をかけた。
「誰?そこで何してるの?」
「牧野か?」 
今の声は・・・。
「道明寺??」
「おま、声でけえよ。帰り遅かったな。バイトだったんか?」
「えっ。どうしてココに?あれ、NYは?何やってんの??」
「落ち着けって。急に休みが取れたから帰って来たんだよ。」 

あたしの慌てぶりが滑稽に思えるほど、道明寺は余裕の表情で、それが少し癪に障る。

「これが落ち着いてられるかっての。いつ帰ってきたのよ。連絡ぐらいしなさいよ!」
「電話、何回もしたぞ。」
「・・・・あっ。そうだった。携帯料金滞納して止められてたんだ!・・・ゴメン。」
「いくらかけても繋がんね−から、携帯止められてると思ったらビンゴだな。相変わらず心配ばっかかけさせやがって。」
そう言って、額をピンと弾かれた。
それでも見上げた道明寺の顔は笑っていて、 ― 道明寺が帰ってきた ― それが、こんなにも嬉しい。

部屋に上がってもらって、インスタントコーヒーをいれる。少しだけ不味そうな顔をしながら、カップを口に運んでいる道明寺。
だけど、1年ぶりに見た彼は、夜毎夢に出てきてた道明寺より大人びた印象だ。
外見は、そんなに変わった印象は無いんだけど、尖った所が少し和らいだというか。
きっと、仕事も大学も上手くいってるのだろう。そんな心の余裕が雰囲気を穏やかにしているのかもしれない。

「元気だったか?」
「うん。道明寺は?」
「おお。まあまあってとこ。」

お互い、何となくギクシャクしてしまう。
まだ付き合うって事に慣れる前に遠恋になったのだから、仕方が無いといえば、そうなんだけど・・・。

カップについてしまったグロスを指でなぞりながら、そんな事を考えていると、道明寺の指があたしの唇をつついた。

「お前、可愛くなったな。」
「え?」
「化粧とか、するようになったんだな。はぁー。やっぱ1年って、なげぇ。」 

畳に足を投げ出して、天井を仰ぎながら大袈裟に溜息をつく。
くすっ。相変わらずだね。あたしを置いて、どんどん大人になっちゃったのかと思ってたけど。

「なんだよ?」
「ううん。なんでもない。」
「てめ、言いたい事あんなら、言えよ。気になるだろうが。」 

こうやって、ムキになってるところなんて、呆れるぐらい昔のままだ。

「本当に道明寺が帰ってきたんだと思って。変わってなくて嬉しかったの。」
「そりゃ、成長してねえっつーことか?」

あーあー。額に青筋立てちゃって。

「違うよ。ホッとしたっていうか。だって、最初、道明寺が凄く大人っぽく見えたから。
置いてかれたような気がして、少しだけ不安になっちゃった。バカだね、あたし。」
本当にバカな事を言ってしまった自分を誤魔化すように、笑った。
だけど、それを聞く道明寺の顔は凄く真剣な表情に変わっていて。

「俺は、お前が予想以上にキレイになっててマジ焦った。無理矢理NYに連れ去っちまえば良かったって、今すげー後悔してる。」

そう言って、あっという間に道明寺の大きな身体があたしを包んだ。
高そうなコロンの匂い。広い胸。長い腕。体温の高い指先。
泣きそうなぐらい、全てが道明寺だった。 抱き締められた腕の中で聞く鼓動が、道明寺の余裕の無さを示している。
いつもそうだった。道明寺は、あたしに対してはいつも余裕が無かった気がする。 

『好きだ。愛してる。よそ見すんな。俺だけ見てろ。』

真っ直ぐに、あたしだけを求めてくれてた。それなのに、あたしは道明寺の想いをはぐらかしてばかりいたね。
つまらない意地ばかり張っていたあたし。
道明寺と離れた事で、あたしにとって大事なものが何なのかが、この1年で嫌というほどわかったよ。
「逢いたかった。ずっとずっと逢いたかった。道明寺。」

今のあたしの顔は、恥ずかしさと涙で、ぐちゃぐちゃだと思う。
道明寺がNYに行ってから、人前では努めて明るく振舞ってきた。
こうして、誰かの前で泣くのは1年ぶりだった。
ふっと腕の強さが弱まって、道明寺の漆黒の瞳に吸い込まれそうになって焦る。
「ちょ、待って。」
「待たねー。」 
そう言って、顎に人差し指をかけられて、親指であたしの唇をなぞりながら、 
「愛してる。」
「・・・あたしも。愛してるよ。」 
お互いの吐息が交わるほど近くで交わされる告白。

1年ぶりのキスは、思考を停止させるのに十分なほど甘くて、逢えない間に、道明寺の事をもっともっと好きになってたことに気づく。
ゆっくりと離れた唇。グロスの色が道明寺に移って、少し恥ずかしい。

「ハチミツみてーな味がする。」
「それ、リップの味。」
「化粧なんてして、大学行って、キョトキョトしてんなよ。お前は隙がありすぎるからな。変な男が寄ってきやしねーか、気が気じゃねえよ。」
「あたしのどこに隙があるってのよ!」

負けじと言い返したあたしの唇を道明寺のそれが塞いで、
「こういうトコ。」
なんて、イジワルそうに眉を上げた。 
こんな表情も懐かしくて、幸せすぎて、急に、目の前で起きてることが全て夢じゃないかと不安になった。 
この笑顔も、この温もりも、何度も何度も見たあの夢の一部で、目が覚めたら布団の上に一人で震えてるあたしがいるんじゃないか?
自分で考えて、底なしの不安に囚われそうになったあたしを、
「ほら、行くぞ。」
 そう言って、ギュッと握られた温かくて大きな手が現実に連れ戻してくれた。 
「どこに、行くの?」
「1年前の旅行の続き。」
その意味することは・・・。
「やだ?」
「・・・ううん。あたしも、二人でいたい。」

あたしの言葉に、道明寺が少しだけ目を見開いた。
自分からそんな言葉を言うなんて、今日のあたしはどうかしてるのかもしれない。
けれど、こんな素直な気持ちになれた今の自分が好きだと思う。
あたし達に与えられた時間は、たった3日。

3日経ったら、二人はまた離れ離れになってしまうから。
その時、後悔するのは嫌だから。
 
 

迎えの車に乗って道明寺の家に行く。
久しぶりのタマさんとの再会を堪能する間もなく、あたし達を乗せたヘリは、南にあるリゾートに向けて飛び立つ。
1年前と同じように、眼下に広がる夜景は宝石箱をひっくり返した様にキラキラしていて、
だけど、1年前と違うのは、夜景よりも道明寺を見ていたいと思うあたしの心。

ヘリから降りると、懐かしい『楽園』の風景。
オフシーズンなのに、水上コテージに灯っている明かりの数が、このホテルの人気をあらわしている。
道明寺に導かれるまま、桟橋を渡って見覚えのある部屋に入る。
この部屋で、泣きながら道明寺の腕の中で眠った事を思い出し、胸の傷がチクリと痛む。

「バス使えよ。」
そう言われて、少し戸惑ったあたしの耳元で、
「何なら、一緒に入るか?」
道明寺が低い声で囁いた。
余りの恥ずかしさに真っ赤になりながらバスルームに駆け込む。
バスタブに浸かって、色とりどりに浮かぶ花びらを掌で掬いながら、道明寺が落ち込んでるあたしを浮上させようと、
わざとからかった事にも気づいていた。
まったく、アイツは時々あたしを甘やかせ過ぎる。

ローブを羽織ってバスルームから出ると、同じくローブを羽織った道明寺がベッドに腰掛けてビールを飲んでいた。
「お前も飲むか?」

冷蔵庫から新しくビールを出そうと立ち上がった道明寺の手から缶を抜き取ると、
 「これで、いい。」
 あたしは、その飲みかけのビールに口をつけた。 
「美味しい。」
そう言ったあたしを、道明寺が優しい眼差しで見ている。

この人は、いつからこんな表情をするようになったんだろう?

あたしはゆっくりと道明寺に近づくと、今は濡れてストレートになっている髪に手を絡ませて、自分の意志でキスをした。
紐を解かれると、ローブがハラリと落ちて肌があらわになる。
指や鎖骨や胸。体中に降り続ける道明寺の熱い吐息とキス。
途中、何度も視線が絡み合う。 真っ直ぐすぎる、その漆黒の瞳から、あたしは何度も逃げた。
何度も何度も逃げて、それでもこうして、捕まってしまう。
そして、捕らえられたまま離さないで欲しいと、あたしがあたしでなくなるぐらい、道明寺に飲み込まれても、
二度と離さないで欲しいと願ってしまうんだ。
「・・・・・つかさ。」 
あたしは熱に浮かされたように、道明寺の名前を繰り返し呼びつづけた。
 
 
朝の光で目覚めると、あたしの隣であどけない顔で眠る道明寺。
その幼さの残る顔とシーツから出ている腕の逞しさのアンバランスにドキドキしていると、道明寺の長い睫がゆっくり開いて、
「おはよ。」 
少し頬を赤らめながら言葉をかけると、
「おお。」
道明寺も、そう言って赤くなった。その反応が可愛くて、くすくす笑っていると、 
「すっげー、幸せ。」 
本当に、本当に眩しいぐらいの笑顔で、そう言った道明寺。
あたしも、あたしもね、 
「すっげー、幸せ。」 
そう言って、道明寺にギュッとしがみ付いた。
 
二人に架せられた時間は、残り3年。

また、凄く逢いたくなると思うけど、めげそうになると思うけど、あたし達の足は、ちゃんと未来に向かってるもの。
そして、目指す未来は、きっと一つだから。だから、きっと大丈夫。
そうだよね、道明寺。 
 

まだ起きるには早い時間。あたし達は、そう遠くない未来を誓って、お互いの温もりを感じながら再び夢の中に落ちていった。










 
 
 
 
 
 
− Fin −
 
 
 
いちさんから頂いた、司×つくしのお話。本当に本誌の続きという感じです。読み応えがあって素晴らしい!!

○年後の二人っていう番外編は本当にないのでしょうかね・・・。待ってます神尾先生!(涙)(2004/04/20)